読みもの

患者さんのための機関誌「きよかぜ」

消化器内科科長 窪田裕幸

ヒトのからだは数十兆個の細胞からなっており、これらの細胞は、正常な状態では細胞数をほぼ一定に保つため、分裂・増殖しすぎないような制御機構が働いています。 それに対して、ある細胞の遺伝子に異常(変異)が起きることにより制御機構が働かなくなり、過剰に増殖したものが腫瘍細胞で、その腫瘍細胞の集まりを『腫瘍』といいます。しかし、その増殖の仕方は一様ではなく、その増殖が非常に緩やかで、ある程度の大きさまで増殖したらそれ以上の増殖を止めてしまうものを『良性腫瘍』といい、通常は生体に悪影響を及ぼしません。それに対し正常の細胞を破壊しながら無制限に増殖し(浸潤)、また血管やリンパ管の中に入り込んで全身に拡がり(転移)、その行き着いた先の臓器でさらに正常の細胞を破壊しながら増殖を続けていくものを『悪性腫瘍』といいます。悪性腫瘍は進行すると人のからだを消耗させ栄養状態の低下を導き、臓器の機能不全をもたらし、生命を脅かします。この腫瘍細胞は顕微鏡で観察すると細胞の形や核の大きさなどが正常の細胞と比べると異なるため(異形)、その異型度の強さで良性腫瘍なのか悪性腫瘍なのかをほぼ見分けることができます。

一般的にはこの悪性腫瘍のことをがん(癌)といっていますが、厳密には悪性腫瘍は癌だけではなく『肉腫』という名前の悪性腫瘍があります。どちらも性格は似ていることに変わりありませんので、『・・肉腫』という病名は名前こそ癌はつきませんが、性格は癌と何ら変わりのない悪性腫瘍です。では癌と肉腫の違いは何なのでしょうか?それはその腫瘍の発生する場所による違いなのです。癌は上皮細胞といわれる、体表面を覆う表皮、消化管などの管腔臓器の粘膜を構成する上皮、肺・肝臓・膵臓・腎臓などの実質臓器の細胞から発生した悪性腫瘍に対して名付けられます。

これに対し、骨、軟骨、脂肪、筋肉、血管といった上皮細胞ではない細胞から発生した悪性腫瘍のことを肉腫といいます。骨肉腫や平滑筋肉腫などがその代表的な疾患です。例えば同じ胃から発生した腫瘍でも胃の粘膜(上皮細胞)から発生した悪性腫瘍は胃癌であり、胃の粘膜のすぐ裏側にある筋肉(平滑筋)から発生した悪性腫瘍は平滑筋肉腫といい、呼び名が異なります。また癌や肉腫とは別に白血病や悪性リンパ腫などの血液疾患は癌にも肉腫にも分類されませんが、これも悪性腫瘍の一つです。

ではどうして人の体には腫瘍(がん)ができるのでしょうか?正直なところまだ十分にはその原因は解明されていません。冒頭で細胞の遺伝子に異常が起きると述べましたが、実は数十兆個の細胞で構成されている人体では、毎日数千個単位で遺伝子に変異が生じています。したがって遺伝子の変異した細胞が即腫瘍細胞になるわけではありません。また遺伝子の変異がすべて発癌に関わっているわけではなく、いくつかの特定の遺伝子が発癌に関わっていることがわかっています。その中には癌の増殖につながる遺伝子もあれば癌の増殖を抑制する遺伝子もあります。これらの発癌に関わる遺伝子に変異が起こり、それが時を重ねて複数カ所の遺伝子に変異が起こると、その細胞は増殖の制御を失い悪性の腫瘍細胞に変化するのです(多段階発癌)。

癌は遺伝子の変異の積み重ねによって発生すると述べましたが、ある種の物質が遺伝子変異の確率を高め、発癌を高めることが知られています。いわゆる発癌物質といわれるものです。その一つにウイルスや細菌などの微生物があります。

◆ヒトパピローマウイルス → 子宮頸癌 
◆ヒトTリンパ球好性ウイルス → 成人T細胞白血病
◆B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス → 肝細胞癌
◆ヘリコバクター・ピロリ菌 → 胃癌、MALTリンパ腫

これらのウイルスや細菌は特定の癌の発生の重要な原因であることがすでに分かっています。胃癌に関して言えば、現在ピロリ菌に感染している日本人は確実に減少しているので、胃癌の発生率も年々減少傾向にあります。

そのほかには放射線や紫外線、ある種の薬剤(経口避妊薬や抗がん剤)に含まれる化学物質、アルコール、タバコなども発癌のリスクを高めるものとして知られています。みなさんの身近な嗜好品であるアルコールとタバコは以下の癌の発生のリスクを高めるといわれています。

◆アルコール → 頭頸部癌(口腔、咽頭、喉頭)、食道癌、肝臓癌、乳癌
◆タバコ  → 頭頸部癌(口腔、咽頭、喉頭)、食道癌、胃癌、肺癌、膵臓癌、肝臓癌、腎臓癌、膀胱癌、子宮頸癌、骨髄性白血病

次にみなさんが毎日摂取している食事はいったいどの程度発癌に関係しているのか気になるところかと思います。食品には炭水化物、タンパク質、脂肪、ビタミン等の栄養素や食物繊維、様々な添加物が含まれており、ある特定の食品(食材)が癌の発生を高めるといったことは証明されていません。しかし現在わかっていることは、国民の肉の消費量と大腸癌の発生率には高い相関関係があることです。脂肪に富んだ大量の肉と大量のカロリーを摂取する人々は、大腸がんのリスクが増大します。いわゆる「食生活の欧米化」といわれるものですが、乳癌や前立腺癌も関連があるといわれています。近年日本人に大腸癌や乳癌が増えてきた原因のひとつには、食生活の欧米化による動物性脂肪の摂取の増加と食物繊維の摂取不足があるのは確かです。また食生活と非常に関係のあるものですが、肥満は確実に発癌のリスクを高めます。特に食道腺癌、大腸癌、閉経後の乳癌、子宮体癌、腎臓癌の発生を高めるとされています。

最後に、癌は遺伝するのでしょうか?近親者に癌の方がおられると自分もいずれ癌になるのではと心配されたことがあるかもしれません。しかし、実際はほとんどの癌は偶発的に発生するもので遺伝することはありません。しかしながら、ごく一部の癌において、特定の遺伝子が遺伝的に欠損あるいは変異することにより高い確率で発生する癌が存在します。家族性大腸腺腫症や遺伝性非ポリポーシス大腸癌(HNPCC)、遺伝性乳癌・卵巣癌といったものです。
また遺伝的要因と環境因子の双方により発癌リスクが高くなるものとして、アルコール分解酵素活性の低下とアルコール多飲があります。これらが揃うと頭頸部癌や食道癌の発生率が上昇するといわれています。日本人を含むアジア人にはアルコール分解酵素の活性が低い人が多いので、アルコール好きの方は気をつける必要があります。
以上癌の発生について現時点で解明されていることについて述べましたが、その機序は非常に複雑でまだまだ未知の部分がたくさん残されているのが現状です。