読みもの

患者さんのための機関誌「きよかぜ」

神経内科医長 堀 真

 

 源泉は長時間空気に触れることで効能を失うのですが、真水を加えてしまう行為も同様に源泉本来の効能を失わせてしまうようです。我々現代人が一般的に好む入浴温度は42度~44度程度ですが、日本国内の多くの源泉は極めて高温で、そのままでは入浴することができません。古くから高温の源泉をいかに適温まで下げるか様々な試みが行われてきました。草津温泉名物の湯もみはその最たる例です。草津には、有名な湯畑と少し離れた万代鉱湯というふたつの源泉があり、湯量は豊富ですがいずれも極めて高温であり、とくに万代鉱湯は90度以上になります。地元でも源泉の高温は大きな悩みで、湯もみだけでなく、現在は熱交換器なども導入し懸命な努力が続けられていますが、それでも適温まで下げることは難しいようです。そして、やむなく加水による冷却が行われているそうです。どんな理由であれ、加水してしまえば源泉は効能を失ってしまいます。それは実際に入浴することで実感できます。間違いなく加水なしの源泉と、おそらく加水による調節が施されているであろう湯では、温まり方や疲労の感じ方、外相の創傷治癒の経過などに差があります。
 残念ながら内科領域での温泉療法に対するエビデンスは脆弱です。学生時代に私自身が被験者として参加した温泉入浴前後のリンパ球の活性を比較する研究では、論文では温泉入浴前後による差は認められないという結論でした。しかし、リハビリテーション領域に於いては温泉気候物理学会を中心に多くの論文が発表されており、温泉愛好家としては本物の温泉には単なる入浴とは異なる効果が期待できるということを喜ばしく受け止めています。

 紙面が許す限り、私の印象に残っている温泉えお紹介します。もちろんすべて源泉本物の施設です。日本はすべての都道府県で温泉が湧出しますが、山形、福島、群馬、栃木という北関東~南東北に特に素晴らしい温泉が集中しています。小野川温泉、蔵王温泉 高湯温泉、谷川温泉らは温泉地として源泉を大切にして本物を提供しようと努力をされています。「日本秘湯を守る会」の代表が経営される二岐温泉の「大丸あすなろ荘」は源泉を大切にすることはもちろん、秘湯にも関わらず徹底したバリアフリーを実践し宿の売りとしています。谷川温泉の「水上山荘」では谷川岳の眺望を存分に生かし、自然と温泉、高品質の料理を組み合わせ総合的にレベルの高いサービスを提供しています。
 北の大地には珍しい温泉が存在します。北海道・帯広の十勝川温泉はモール温泉と呼ばれ、植物起源の有機物を含む温泉です。石炭の形成途中で炭化が進んでいない炭泥や亜炭層から汲み上げられる温泉で独特のコーラのような黒い色をしています。大規模な湧水地は帯広とドイツの2箇所しかない希少な湯の効果で肌がツルツルになります。同様に肌に優しい湯として紹介したい温泉が三重県にあります。
 地元の三重県津市では七栗の湯として知られる榊原温泉です。ここは伊勢神宮にも近く、枕草子にも兵庫県の有馬温泉、日本最古の湯として知られる島根県の玉造温泉と並んで名湯として紹介された歴史ある温泉です。源泉温度が低く長湯が可能なこと、とろみのある独特な肌触りの良さが魅力です。実際、現地では源泉を利用した化粧品が販売されています。

 岐阜県奥飛騨温泉郷には銘旅館が多数あります。福地温泉では日本の温泉文化を具現化しようとした宿造りが行われています。「湯元 長座」、「かつら木の郷」、「元湯 孫五郎」には、失われてしまったかつての日本文化が息づいています。ここでは全ての旅館が伝統的な飛騨造りに徹しています。槍ヶ岳を眺めながら入浴できることで知られる新穂高温泉「槍見館」は常に進化をしており、訪れるたびに新しい発見があります。九州では、やはり湯布院温泉を推します。九州最大の露店風呂を誇る「二本の葦束」はまさに温泉の醍醐味を味わえます。日本では珍しいのですが、現役の内科医が経営する「昔噺」。全国に温泉病院は多数ありますが、100%源泉の医療施設併設の温泉はここだけです。
 そして御三家といわれている「玉の湯」。最高の料理、本物温泉、悪漢なのが完璧に作り込まれた空間です。あらゆる要素が最高レベルで融合している旅館です。
 温泉旅行の目的は十人十色でしょう。もちろん女性と素敵な時間を過ごしたり、家族や仲間と楽しく過ごすためでもあります。でも単なる風呂ではなく、温泉に入ることの意味を思い出してください。”湯治”といわれるように、温泉は昔から医術のひとつとして使われてきたのです。そして、それは本物温泉でなければ期待できないのです。

 私の常宿は信州の北部にあります。日本一予約がとれないといわれるその宿で、日常を切り離して”療養”の時間を過ごします。私には効果を上手く説明することはできません。しかし本物の温泉は違うことだけは確信しています。折角、貴重な休暇を過ごされるならば、是非本物を体験していただき、その効能を体感していただきたいと思います。