読みもの

患者さんのための機関誌「きよかぜ」

神経内科医長 堀 真

 脱衣所の暖簾をくぐると、飛び込んできたのは英語、スペイン語、フランス語、中国語・・・。いったい俺はどこに迷い込んでしまったのか!?しかしそこはまごうことなく日本。群馬県水上市にある宝川温泉でのエピソードです。
 今、日本の温泉は世界中の愛好家から注目されています。海外で販売されている日本の旅行ガイドでは、温泉が大々的な観光スポットとして紹介されており、一昔前は日本の入浴という文化は外国人にはなかなか理解してもらえなかったことを思い出すと時代が変わったものと実感します。

 医学会において、温泉療法は昔から一定の理解がされてきました。日本では温泉気候物理学会が立ち上げられ、毎年、学会総会では全国の温泉地を舞台に専門家による熱い議論が交わされます。温泉療法はリハビリテーションの領域で一定の成果を挙げており、最近では補完医療や代替医療として改めて期待されています。しかし、今回強調しておきたいのは本当に温泉療法としての効果を期待するのであれば、それは”本物”でなければならないということです。
 日本国内には、現在1万7000軒余の温泉施設があります。しかし驚くことに本物の源泉施設はそのうち約1%程度しか存在しないというのです。ここでいう”本物”とは、以下の条件に当てはまるものを指します。
 ①源泉100%かけ流しであること
 ②加水しないこと
 ③消毒しないこと
 ④まめな清掃による清潔が保たれていること
 当たり前のように思えるこの4項目をすべて満たすことは困難であり、各地の温泉地では血の滲むような努力をされているのです。

 まず大切なことは衛生状態です。大衆浴場での感染症といえばレジオネラ菌ですが、他にも大腸菌や真菌など感染リスクは枚挙にいとまがありません。雑菌を付着させた大勢の人間が入浴するのですからリスクが高いことは当然でしょう。数年前までは、小学校のプール張りの塩素系消毒薬の臭いが漂う施設が数多くありました。臭いがあればさすがの客も気付くのですが、たちの悪いことに近年は無臭の消毒薬が使われるようになり、ほとんどの一般客は気付くことすらできません。消毒薬を使用しなければならないのは循環ろ過装置を使用している施設です。ろ過装置を通しているからといっても全ての雑菌を除去できるわけもなく、湯船での繁殖を抑えることは不可能です。従って、循環式の温泉施設では消毒が必須です(保健所から指導が入るようです)。
 意外に危険なのが24時間入浴可能な風呂です。いくらかけ流しで新鮮な湯が次々に注がれるといっても、浴槽の清掃なしに清潔は担保されません。理想的には毎日浴槽の清掃が行われ、すべてのお湯が入れ替えられるべきです。大きな浴槽を新しい湯で満たすには一晩かかることも普通ですから、24時間入浴可能な浴槽では頻繁な清掃を行うことは不可能だとわかっていただけるでしょう。

 大分以前のことですが、保健所での実習で温泉旅館の水質検査に同行した際、ある有名な温泉旅館の専務さんに地下にある巨大な循環ろ過装置をみせていただき、『みなさん、かけ流しにこだわっていますけど循環ろ過装置のほうが遥かに衛生的ですよ』とお話しされていたのを思い出しました。確かに莫大な設備投資をして大掛かりな循環ろ過装置を設置すれば上水道と同じ原理で清潔にはなるかもしれません。それが銭湯であれば素晴らしい施設でしょう。しかし、温泉は元々還元型の性質を有しており、空気に触れることで酸化が進み、やがてただの水になってしまうという性質があります。つまり、長時間空気に触れて何回も循環し大量に消毒薬を投入されたものは、もはや温泉とはいえないのです。