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患者さんのための機関誌「きよかぜ」

                              病理診断科 科長 中村雅登

 英語で” doctor’s doctor“「医師の医師」という表現があります。医者にも医者が要る。医師も人ですから、体調がすぐれないこともありますし、病気もします。医者も当然、医療サービスが必要になることは多々あります。でも、ここでいう医者に必要な医者というのはそういうことではありません。臨床各科で、採取提出される「がん」の確定診断をする病理専門医がdoctor’s doctor“「医師の(中の)医師」なのです。病理専門医は普通皆さんにお会いすることはありません。臨床各科のお医者さんに病理診断という情報を提供することが基本になり、医師の方々にお話しをすることはありますが、皆さんへの説明は臨床各科の担当医から皆さんへ結果の説明をしていただきます。それで、「医師の(中の)医師」という表現がなされるようになりました。

 新型コロナ感染症が蔓延する中、忘れがちですが、今や、二人に一人は「がん」になる時代です。流行しているわけではありませんが「がん」は珍しくもなく、ごく普通の病気になってきました。また、全ての「がん」は不治の病でもなく、テレビドラマなどの台詞で「あと、半年の命です」などといわれる病気でもありません。いろいろな診断・治療技術の進歩によって、確実に予後は改善しています。

 「がん」は、医学用語では悪性新生物と呼ばれています。新生物とは体(臓器、組織)の中に、新しく別にできた生物という意味になります。その本体はいろいろな臓器の正常な細胞とは異なる細胞が増えてできる病気です。ただ違った細胞が増えるのならば、別に困らないかも知れません。でも、この「がん」細胞の問題はただ増えるだけではなく、増え続け、だんだん正常の細胞を押しのけ、臓器、器官が正常の機能を果たせなくなってしまうことが問題なのです。また、この「がん」細胞はいろいろな場所に入り込んでいく特徴があります。時には、血管やリンパ管を通って、全身にどこにでも移動していくことがあります。皆さんも聞いたことがあると思いますが、「転移」とよばれる現象です。この現象がおこる前に「がん」と診断し、取り除いてしまえば、「がん」は怖くも何ともありません。言い換えれば、「がん」は早期に診断できれば助かるということになります。

 「がん」はどのようにして診断されるのでしょうか。皆さんも小学校や中学校の理科・生物学でツユクサの細胞を見たのではないかと思います。あまり、記憶にないかもしれませんが、その時に使ったのが光学顕微鏡だったと思います。細胞を見るために拡大しなければなりません。清水病院では皆さんから採取された検体を処理し、組織標本(プレパラート)を作製し、顕微鏡を使って拡大して「がん」の診断をしています。肉眼では見ることのできない、器官・臓器を構成する組織・細胞を顕微鏡で拡大して見るわけです。顕微鏡まで使って拡大するのだから、「がん」なんて簡単に見つけることができ、診断もできると思われるかもしれません。ところが、話はそう簡単ではありません。

 これから、その問題点をお話ししていきましょう。まず、がん細胞を含んでいる組織をどのようにして採ってくるのでしょうか。先ほども申し上げましたが、がんは早期に発見し取り除けば、怖くも何ともない病気です。でもどうやって肉眼ではわからないがん細胞を含む病変の細胞・組織を採取するのでしょうか。現在最も進んでいる技術は皆さんもご存知の内視鏡を用いて、組織を採取する方法です。消化管(食道、胃、十二指腸、大腸)、膀胱、子宮という臓器についてはこの方法でとても小さな早期の病変を採取することができます。当然、検査ですから、「がん」を含む組織をできるだけ小さく採取するのが理想的です。しかしながら、早期の病変であればあるほど、病変を外してしまう危険性があります。実際にはある程度の大きさの検体を採取する必要があります。次に、拡大すればなんでも判るのでしょうか。実は「がん」細胞と正常の細胞がもつ基本的な構造に違いはありません。電子顕微鏡で分子のレベルまで拡大してしまうと逆に区別がつかなくなってしまいます。これがあれば「がん」と言える特徴は実はありません。

 細胞を顕微鏡で見るためには標本を作らなければなりません。ツユクサの細胞は顕微鏡のスライドグラスの上に載せて、焦点を合わせればそのままでも見ることができます。しかしながら、人の細胞を見るためには適当な標本を採取し、固定し、薄く切ってから色素で染めることによって初めて観察できるようになります。この工程にはどうしても時間がかかります。この薄く切って染めた標本で、どのようにして正常の細胞と「がん」細胞を見分けるのでしょうか。基本的には細胞の形(つまり「見かけ」)を見て、診断しています。経験を積んだ病理科の技師、専門医が見て「がん」かそうでないかを判定しています。でもこの作業が意外に難しいのです。正常の組織の中に存在する「がん」細胞を見つけるのは、雑踏の中で、多数の人の中から不審な人を見つけるのと同じで大変難しいのです。不審者は別に旗を立てプラカードを持ってくれるわけでは無いのと同じで、「がん」細胞も決して、特別な形をしている訳ではありません。よく、「人は見かけによらない」といいますが、「がん」細胞も見かけによらないことが多々あります。実際の病理診断では、「がん」細胞のもついろいろな特徴を、総合的にみて「がん」細胞を判定していきます。時として、専門医の間で同じ標本を見ても、「がん」かどうかの意見が分かれることがあります。これは一方が正しく、他方が間違っているという単純なものではありません。「がん」をどのようにして見つけるのかはなかなか簡単に説明できるものではありません。

 ただ、皆さんに覚えていていただきたいことは「がん」の診断は難しく、時間がかかるという点です。最初にお話しした「医者の医者」病理専門医がいる施設で、できるだけ早期に検査を受け、確実に診断してもらうことが重要なのです。コロナ禍にあっても、定期的な検査を受け早期発見早期診断を是非とも心がけてください。